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ニューヨークで、イスラエルを応援するユダヤ系アメリカ人のデモンストレーション(日曜日)と、イスラエル攻撃に反対するユダヤ系アメリカ人のデモンストレーション(月曜日)が行われた。
最初は、イスラエル応援デモ。
冒頭でしゃべっている政治家2人は、チャック・シューマー連邦上院議員(民主党)と、デイヴィッド・パターソン知事(ニューヨーク州、民主党)。
そして、一般人のデモ参加者のインタビュー。「あいつら(ハマス?パレスティナ人?)を一掃させるためには、学校も爆破しなきゃね!」と叫ぶ恐ろしい女性たちもいる。
続いては、イスラエル攻撃反対デモ。
冒頭でインタビューに答えているのは、モサドのエージェントの苦悩を描いた「ミュニック」などでお馴染みの、映画・舞台脚本家のトニー・クシュナー氏。
そして一般人のデモ参加者たち。「イスラエル支持者が、ユダヤ系アメリカ人全ての声を代表しているわけではないわ。」と話す女性もいる。
冷戦時代を象徴していることといえば、当時ロック/ポップ・ミュージック界に溢れていた反戦または反核を訴える曲の数々だ。(特にイギリスに多かった。) 言い訳が「共産主義撲滅」から「テロリスト撲滅」に変わっただけで、アメリカの帝国主義・軍国主義は今も続いている。冷戦時代の曲のメッセージは、今の時世においても大いに適用性がある。これらの曲のいくつかを振り返ってみよう。
ピープル・アー・ピープル(ディペッシュ・モード)/イギリス
People are People (Depeche Mode)
「なぜ会ったこともない人同士が憎み合わなければならないのか、理解できない。教えてくれ。」
ラシアンズ(スティング)/イギリス
Russians (Sting)
「ロシア人も子供を愛しているはず。」
ダンシング・ウィズ・ティアーズ・イン・マイ・アイズ(ウルトラヴォックス)/イギリス
Dancing with Tears in My Eyes (Ultravox)
核の恐怖についての曲。核爆発で死ぬ運命にある家族の最後の夜が描かれている。
レボルーション・コーリング(クィーンズライク)/アメリカ
Revolution Calling (Queensryche)
この曲が収まっているアルバム「Operation Mindcrime」自体が、政府、メディア、キリスト教教会(レーガン政権下で、右派の思想を広めるためのキリスト教の利用が顕著になった)が協力しあってプロパガンダを浸透させていることをテーマとしてしている。
ロックバルーンは99(ネーナ)/ドイツ
99 Luft Balons (Nena)
各国が馬鹿けた理由でいつ核爆弾ミサイル発射のボタンを押してしまうか分からないという一触即発の状況を、皮肉って歌っている。
ニューイヤーズ・デイ(U2)/アイルランド
New Year's Day (U2)
ビデオはこちら。
U2の曲には、アイルランド紛争について歌ったSunday Bloody Sundayや、冷戦の一環として中南米諸国において米国が行った軍事活動及びCIAによる秘密工作について歌ったBullet the Blue Skyなどもある。
2006年の選挙で民主党が連邦議会の議席数を増やし実権を握ることができたのは、民主党がイラク戦争を終結させてくれる、と有権者が信じたからだ。しかし民主党は、ブッシュ政権と共和党の要求通り無条件にイラク戦争への出費を許可し続け、2年経った今も、戦争を続けさせている。
イラク戦争への反対を看板にして人気を伸ばして来た大統領選候補者のバラク・オバマ連邦上院議員も、最近あまりイラク戦争について語らなくなったし、イラク戦争に大賛成したジョー・バイデン連邦上院議員を副大統領候補に選んでいる。オバマが大統領になっても、民主党及び「オバマ政権」は、イラク戦争をなかなか終結させることができないのでは???と不安になる。
そんな民主党とオバマ議員にメッセージを伝えるため、イラク戦争から帰還した米軍兵士たちは、民主党全国大会が行われているデンバーに集まった。彼らのメッセージとは、次の3つの要求だ: (1)今すぐイラクから米軍を完全撤退させること、(2)帰還兵に十分な医療手当てを与えること、(3)イラク市民に賠償金を支払うこと。
このメッセージを伝えるため、イラク戦争帰還兵たちは、様々な方法をとった。
まずは、デンバーの街中での、イラク戦場の再現。米軍がイラク市民に対してどれ程むごいことをしているか、をデンバー中の人々に再現して見せた。(ビデオ)
そして、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとの反戦ロック・コンサート。(ビデオ)
そして、民主党大会が開かれている会場までのマーチ。会場前では、警備していた警察に阻まれた。警官たちは、帰還兵たちに向けて催涙弾を発射する用意までしていたという。しかし「警官 対 帰還兵」の騒ぎになることを恐れたオバマ議員のスタッフが、帰還兵と面会し、メッセージを受け取る、と約束した。つまり帰還兵たちは、目的を無事達成できたのである。(ビデオ / スライド・ショー)
オバマ大統領、帰還兵たちの要求を実現させるか否か?
テロとは何の関係も無いのに、米軍によってグァンタナモ湾収容所に何年間も拘束され、虐待、拷問を受け続けた挙句、釈放された人々。マックラチー紙が、そうした元捕虜の人々のインタビューを中心に、無法地帯ともいえるグァンタナモ湾収容所の実態を詳しくリポートしている。
グァンタナモで何が起こっているのか、自分達がどれほど非人間的な扱いを受けていたのか、「世界中の人々に知ってほしいのです。」と語る元捕虜のアブドゥル・サラム・ザイーフさん。
彼らのインタビューのビデオがこちらにある。インタビューの内容は英語の分かる方にしか分かっていただけないのが大変残念だが、写真もあるので、是非ご覧になっていただきたい。
今週の月曜日と火曜日にPBSにて放映された「Bush's War」は、対イラク戦争を巡るブッシュ政権の内部闘争についてのドキュメンタリーだ。
2001年の9-11テロ事件直後、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官(当時)を筆頭とするネオコン派は、表面上ではオサマ・ビン・ラーディンとアル・カイーダに対する攻撃に焦点を当てているようで、実は裏では、同事件を利用してイラクを攻撃できないものか、と、対イラク作戦を可能にする為の作戦を既に練り始めていた。しかし、テロ事件とは何の関係もないイラクへの攻撃に反対する者もブッシュ政権内にいた。「Bush's War」は、このように対イラク戦争に反対する者の打倒から始まって、それ以降も同戦争に関して自分達の思惑通りに動けるように、ネオコン派が邪魔者や障害物を次々と排除していく様を、詳しくリポートしている。(という噂だ。私もまだ見ていない。)
このドキュメンタリーを見逃した方、またはアメリカの外側に住んでいらっしゃる方は、PBSのウェブサイト上("Watch the Full Series Online")で観ることができる。Part OneとPart Twoに分かれていて、Part Oneは15のチャプターから、Part Twoは11のチャプターから成っている。
大変興味深いドキュメンタリーらしい。どうぞご覧ください。
サンディエゴ郡南東部の街、ポトレロに訓練所を建設しようとしていたブラックウォーターUSA社が、その建設プランをキャンセルする、と発表した。建設に反対したサンディエゴ郡住民の勝利だ。
昨日、アメリカ中の都市で対イラク戦争に反対するプロテストが行われた。サンフランシスコでももちろん行われたが、そのプロテストでは、参加者たちが、戦禍に遭い死んでしまう人々を演じた。普通なら、戦争の残酷さを醸し出してここでおしまい、となるところだが、さすがサンフランシスコは違う。ここからが面白い。どうぞビデオをご覧あれ。
トニー・ブレア前英首相は、自国民に愛想をつかされ、自党(労働党)から批判されつつも、軍事政策面でブッシュ大統領と最後まで足並みを揃えていた。そんなブレア氏と打って変わり、就任して間もないゴードン・ブラウン首相下のイギリスは、アメリカとは(というより、ブッシュ政権とは)別々の道を着実に歩んでいこうとしている。
この前兆は、先にブラウン首相がブッシュ大統領を訪問した時に既に現れていた。ブッシュ大統領は、合同記者会見中に「ゴードン」とファースト・ネームでブラウン首相を呼ぶなど、ブラウン首相とは、ブレア前首相同様個人的に親しい関係にあるのだ、とアメリカのメディアと国民に印象付けようとしているのが見え見えだった。ところがブラウン首相の方は、ブッシュ大統領を「プレジデント・ブッシュ」とさえも呼ばず、「ミスター・プレジデント」という堅苦しい呼称を使い続け、ブッシュ大統領とは距離を置きたがっていることが明白だった。
ロンドンのヒースロー空港に燃えている車が突っ込んできたテロ事件らしき事件が起こったときも、アメリカの政府やメディアは、同事件を大々的に報じ、アメリカ、そして西洋は「テロに対する戦争」をこれからも続けていかなければならないのだ、とテロに対する戦争の宣伝に使っていた。ところがイギリスでは、ブラウン首相は、「これは法執行機関(警察)が処理することだ。」と述べ、戦争に結び付けるような言動をとらなかった。このブラウン首相の態度は、あらゆる事柄を利用して軍事活動や戦争を英国民に売り付けようとしていたブレア首相とは全く対照的で、英国民に歓迎された。
そしてついにブラウン首相は、イラクからの英軍撤退を開始した。英軍は、拠点としていたバスラにて指令部を置いていたバスラ宮殿をイラク陸軍に明け渡した。
英軍撤退開始につき、ブッシュ政権は相当頭に来ているらしい。ブッシュ政権は、ブラウン首相に、英軍をイラクにもうしばらくの間残らせるようにと説得していたからである。対イラク戦争は大失敗だったと米国民の大半が思っている今、イギリスのサポートがあることを米国民に見せるのは、ブッシュ政権にとって大事なことであったのだ。
だが、ブッシュ政権の思惑がどうであれ、このままこの不人気な米大統領の不人気な戦争に加担することは、イギリスにとって何の利得にもならないし、撤退を望む英国民の声も日増しに高まっており、自党も野党も撤退を促している。更に、イラクで指揮をとったことのある元英軍元帥までもが、「アメリカの戦争方針は知能破産している。」「軍事力のみによってテロ撲滅を図ろうとするアメリカの方針は不適切だ。」というようにアメリカの軍事政策を厳しく批判している中、英軍撤退は自然なことであった。
しかし、ブラウン首相がイラクからの撤退を先延ばしにするわけにはいかなかった理由は、実はそれだけではない。
いくつかの報道によれば、ブッシュ政権は、イランを攻撃しようと目下作戦を練っているところである。イランの核開発というのが表向きの攻撃理由だが、実際は、イラク内におけるイランの影響を止める為であるらしい。米政府がイラン国軍に「テロリスト集団」とレッテルを貼ったのは、攻撃を正当化する為である。
このイラン攻撃に、ブラウン首相下のイギリスは全く関わりたくない。しかし、もしアメリカがイランを攻撃すれば、イランがイラクにいる米軍とその同盟国軍を攻撃することは間違いない。ブラウン首相は、イラクからの撤退をもたもたしているうちに、米軍がイラン攻撃を開始し、その結果イラクにいる英軍がイランから攻撃を受けるのではないかと懸念したのである。
イラクにおけるアメリカとイギリスの軍事同盟は、じきに終焉を迎えそうである。
British Begin Pulling out of Iraq, and Team Bush Grumbles, Edward Gomez, World Views, San Francisco Chronicle, September 3, 2007
The "Special Relationship" on the Rocks, Scott Harton, No Comment, Harper's, September 2, 2007
UK General Attacks US Iraq Policy, BBC News, September 1, 2007
Slam Dunk: The Bush Administration is Trying to Provoke Iran, Robert Naiman, The Huffington Post, August 30, 2007
Brown Meets Bush, and Blair-Era British Lapdog is Gone, Edward Gomez, World Views, San Francisco Chronicle, July 31, 2007
今日、近くの公園で定例のパイプ・オルガンのコンサートがあり、そのリハーサルを友人と共に眺めていた。リハーサルを眺めていたのは私達だけではなく、結構沢山の人が集まっていた。そのオーディエンスの中に、フェルナンド・スアレス・デル・ソラー氏の顔を見つけた。スアレス・デル・ソラー氏は海兵隊員であった息子を対イラク戦争で亡くし、それ以来、平和活動家として全国を駆け巡っていることで有名だ。「ブッシュ大統領の嘘のせいで私の息子は死んだ。」「対イラク戦争は違法戦争だ。」と、ブッシュ大統領と対イラク戦争を強く批判し続けている。(同氏については前に書いたことがある。) とっさに友人をほっぽって、同氏に近寄っていき、話しかけた。
「あなたはフェルナンド・スアレス・デル・ソラーさんですね?息子さんのこと、お悔やみ申し上げます。私はあなたに多大な敬意を抱いているんです。あなたのされていらっしゃることは、素晴らしいと思います。」
スアレス・デル・ソラー氏は、手を出し、私と握手をしてくれながら、大変優しい表情で答えてくれた。
「どうもありがとう。私のことをどうやってお知りになったのですか?」
「あなたとあなたの息子さんのストーリーをずっと追っていたんです。インターネットやラジオ番組で。」
「あなたはサンディエゴに住んでいるのですか?」
「はい。元々は日本の出身ですが。」
「日本ですか。私は日本のテレビ番組からも取材を受けたことがありますよ。」
「お体の調子はいかがですか?」
「そうですね。腰が少し痛むときもありますが。(笑)元気でやってます。」
実は私はもっともっと話したかった(民主党がイラクからの撤退実現に向けて何もできないでいることや、来年の大統領選挙について、彼の意見を聞きたかった)のだが、娘さんと思しき人とご一緒だったので、邪魔しては悪いと思って早々に切り上げることにした。
「では、コンサートを楽しんでください。お会いできて本当に光栄でした。」
大変暖かで優しい人、という印象だった。息子さんの死の痛手は、一生消えないのだろうな、と思うと、何ともいえない気持ちになった。
フェルナンド・スアレス・デル・ソラー氏についてもっと詳しいことは、こちら:
スアレス・デル・ソラー氏がこなした数々の平和活動の一つを報じた新聞記事。(North County Times)
ラテン系高校生に対するスアレス・デル・ソラー氏のアドバイス。 (Veterans for Peace)